top of page
  • 安保 尚子(英大17)

上海雑感 ―フィンランド・オランダ英語教育研修に参加してー

1)上海日本人学校高等部 

東京都公立高校を定年退職して大学の教職課程で教鞭をとっていた私に、2010年、上海日本人学校高等部設立に伴い校長をという話が舞い込んだ。日本人学校(小学校・中学校)は世界に88校存ったが、高等部は初めての設立だった。それまで駐在員子弟は日本人学校中学部卒業とともに親の勤務の継続に拘わらず多くが帰国を余儀なくされていた。当時のJICAアンケート結果で、海外に高等部が欲しいという要望が最も多かったときいている。上海の中学部生徒・保護者も「高等部を希望する」回答が約80%に達し、設立の原動力となった。 ※

2011年4月開校以来、初めての海外勤務地中国上海において、それまで訪れることの多かった欧米との違いを享受していた。生徒達が海外に身をおくが故に持てる「国際性」は貴重なものである。高等部入学の際に多くが日本と他国の懸け橋になりたいと述べた。新しい学校作りは苦労も多かったが充実感があった。忙しさもひとしおで、休みのたびに日本に一時帰国した。上海日本人学校高等部校長退職後、台湾、香港、ベトナムなどアジア各地へ出かけたが、英語圏は暫く遠ざかっていた。

2)フィンランド・オランダ英語教育研修    2015年3月26日~4月3日      

 昨秋、久々に参加した全国英語教育連合会(全英連)全国大会で「フィンランド・オランダ英語教育研修」のチラシを目にした途端、ヨーロッパにいきたいという思いに取り付かれた。ヨーロッパそのものが魅力で、特にフィンランド・オランダは行ったことがなく、一時PISAの好成績で話題となっていたことが私を駆り立てた。

 旅が始まり、空港、ホテルに着き、学校を数カ所訪れ、食事し、観光し、街を歩き、ショッピングをし、この5年過ごした「中国」(といっても上海市が殆ど)との雰囲気の違いに気を呑まれた。頭では理解していても、実際に訪れてみると今更ながら、ヨーロッパの落ち着いた空気は上海とはあまりにも違っていた。ともあれ私が慣れ親しんできた西欧文化は変わっていなかった。日頃上海で感じた活気や喧噪とは大違いだった。

 久々のヨーロッパで、フィンランド ヘルシンキの雪景色・街並み、オランダ アムステルダムの国立美術館・ゴッホ美術館・ライデン大学・その街並み等々ゆっくりと鑑賞できた。でもなんといっても小・中・高の学校訪問が興味深かった。

以下の学校を訪問した。

3月27日  Elckerlyc Montessorischool (モンテッソーリ教育の小学校) 校長:Mr. Paul Mos

    (午後)Nederlandse Montessori Verening (モンテッソーリ教育委員会)

3月30日  Dalton Voorburg school (ダルトン教育の中高等学校)

       英語セクションリーダー:Vivienne Soesman

アムステルダム  ⇒  ヘルシンキ

3月31日  Pappilanpelto (小学校)担当:Mr. Jarmo annala

   (午後)Vihdin Yhteiskoulu (中学校)担当:Ms. Ninna Kela

4月1日   Nummelan‐Harjin Koulu (中学校)担当:Ms. Erja Ilo

    (午後)Nummela(高校)担当:Ms. Tuula Jan 

全体的に学校の施設・設備がカラフルで、校舎や部屋の大きさや形が様々なのは興味深かった。どのクラスも少人数で発言機会が多く、それぞれの発言に教師が頷いたり励ましたり、又、生徒同士やりとりも多く授業が活発に進んでいるように見えた。少人数ゆえに先生方の細かい工夫が取り入れやすい環境のように思われた。

最初に訪れたモンテッソーリ教育では、各人の興味関心を重視し、それぞれの進度を尊重することなどが説明された。日本のことを聞かれ、日本では「モンテッソーリ教育」は行われていないが、個々の教師によってはその思想が理解され取り入れられていると答えた。こちらでも進学ともからんで高校ではそれほど取り入れられていないとのこと。

語学学習ではオランダとフィンランドの違いが感じられた。オランダは多言語多文化国家を謳っているだけあって、授業でも、外国語(英語等)を理解するだけでなく積極的に使うようになっている。ある高校では、マンツーマンインタビュー形式で実際に行ったボランティア活動を一人ずつ15分間も英語で(対話によって)説明させていた。これは評価点がつくものだった。

フィンランドの英語の授業では、文法を重んじ、問題を解き、と日本の英語教育に似ていた。見た授業では生徒があまり発言せずシャイに感じた。しかし求められているのは「識字ができて話せればよい」というだけでなく、やはり知識や関心事について表現できることとの説明だった。

教育制度の違いは社会構造・在り方と大きく関わっている。資料によれば、フィンランドでは義務教育期間に最低2ヶ国語を学ぶことが義務付けられ、第一外国語は小学3年生から。8割以上が英語を選択するそうだ。第二外国語は中学から。日本の英語は必修でどこでも受験科目なのと、2ヶ国語と選択制なのは、生徒の動機づけや授業内容に大きな違いがあると思う。

今回訪れた両国とも、生徒一人一人の理解度を見て進度を決める、必要な知識とそれを応用する力をつけさせることに重点が置かれているようだった。教師は理解力には個人差があることを熟知して、時間内で一律に一定のレベルに達することを要求せず、成功体験を積み重ねさせる。目標を達成するため、クラスに複数の教師を配するサポート体制がとられていた。その他、進路教育など興味深いことも多かった。

短い旅ながら私は、欧米の身についた個人主義・伝統文化を思い起こし、現在の自分には意外なほど新鮮であった。明治以来、戦後もずっと日本が追いつこうとしていた文化に久しぶりに接したのだ。もの心ついてからずっと、家庭生活でも学校生活でも日本は西欧文化の摂取に努めてきた。アジアの国ながら、あまりにも西欧に傾倒する国の姿勢を非難し危ぶむ声もあるほどに。

欧米とアジアの違いを再認識させられると同時に、日本という国のありように改めて思いが至った。アジアの国ながら、西欧の文化をしっかりと身につけそれゆえの悩みと共に発展している我が国は世界の中でも貴重な存在である。最近の世界の大変動の中でこそ一層日本らしさを保ちたい。

冒頭で触れたが高等部入試面接で多くの生徒が「将来は日本と他国の懸け橋になりたい。そのような仕事につきたい」と述べるのを聞いて感動を覚えた。面接用の言葉だけとは思わない。実際に在学中に現地校との交流や特別講演の企画や「課題研究」等、随所にその姿勢が顕在化した。大学生になった彼等が、多感な時期に海外に身をおいて様々な試行錯誤を繰り返した折の初心を忘れずに、今後大いに活躍することを願ってやまない。

3)語学学習(英語/中国語)

 自分にとっての英語学習と中国語学習の違いに気付く。自分が大学まで学んできた英文・英語学習と70歳近くで初めての中国語学習はあまりに違った。(英国の留学ではHRM(Human Resource Management)を専攻しツールとしての英語にこだわり、言葉の内容・実用・通用性の重要性を再認識した)中国語学習の場合は否応なしに中国語の運用・活用だけを重視なのにまず驚いた。

高等部には背景(長期間の中国滞在、高等部以前の現地校インターナショナル校,(両)親の国籍等々)故、中国語堪能な生徒が少なからずいた。しかし彼らは読み・書きは殆ど気にしておらず、むしろ日本語をもっと深く学びたいという。彼らは日常生活に言葉の不自由さを感じることだけに努めている。私(達)の英語学習との大きな差である。

 駐在の人々はその仕事環境により必要に迫られ上達していく。現地に長く住む人々、他の駐在夫人たちにも中国語堪能者が多い。ある時期徹底的に中国語学習して立派に駆使している人が沢山おり頭が下がる。第一に通ずること、実用性が重んじられていることはいうまでもない。 

私の周りには日本語堪能な中国人が多いが、日本在住経験がない人も多く驚く。ある大学生は独学でアニメやドラマで勉強したという。独学なのに私の英語よりずっと活発で驚く。

 学校の成績・受験と密接に繋がった英語学習と、日常的に生きのびるための中国語学習の違いは大きく、そのことは学ぶことが多い。

企業研修等を行なっている人が日常生活の日本語にあまり不自由を感じない大学生らに、「日本のことを知りたければ、更に日本語が堪能になりたいなら、日本人のプロ意識や美意識をもっと理解するべきだ」と示唆していた。大学生がいずれ社会に出て日本企業等と関わりを持つのを予測して鼓舞したのだ。語学学習は言葉の学習だけに終わらないとの意味もあるだろう。

 外国語駆使の自由・不自由度は個人差・目的は勿論、国民性、社会の在りように負うところが多いと思った。

4)津田上海の設立

 「津田塾大学同窓会上海」について。

 第一回の津田塾大学同窓会@上海は2011年11月7日に初代幹事が開催した。歴代幹事(初代吉野泰子、二代吉浦友紀、小池田和子、朱萍、海老原美佳、加藤佐苗(現))の下、上海のフリーペーパーを活用しつつ年3~4回懇親会が行われてきた。第一回参加は5名。メンバーは以後15人前後を推移。海外らしく迎えたり送ったりが多い。

 定例会に加え以下のような催しもあった。

2012年2月 第二回は一橋大学如水会上海より参加2名(津田18名)

      場所は同窓生の小池田和子さんがオーナーのマクロビレストラン「Annamaya」。

2012年5月 第三回は香港からゲスト3名を迎え、昼食会後観光したりして夕食会。子ども含め延べ約20名参加。

 <この間、定例の懇親会、忘年会、送別会等開催>

2014年6月 アジアネットワーク ビデオカンファレンス (香港からは津田塾大学学長<講演「異文化の中で育つ子供たち」>、同窓会長も出席)       

いろいろな経験を様々な世代から聞けるのは楽しく貴重である。海外生活ゆえの人生のドラマを感じることも多い。今後も一人一人の思いを一層伝え合っていきたい。

※日本人高等学校設立の概略

・2010年3月:校長を要請され現地視察。

・同年6月:朝日新聞に「上海に高等部設立か?」とリーク記事掲載される。

・同年7月:上海日本人学校中学部保護者対象に説明会実施。500名の聴衆に「高等部設立宣言」をする。同9月に中学生を含む聴衆に再説明会。いずれも上海日本人学校中学部体育館で実施される。

・実施に向けて、文部科学省の承認、教員・事務職人材の確保、財政面の検討、教育課程、入試要項などを検討・決定。東京の芝浦工大と上海日本人学校浦東校舎に設置された仮事務室で、応募者の対応、問合せに対応した。

・同年12月:東京会場入学選抜試験実施(芝浦工大)

・2011年1月:上海会場 入学選抜試験実施

・同年3月11日:東北大震災により、開設・入学式の延期等再検討の結果、予定通り実施を決定

・同年4月16日:上海日本人学校高等部創立・第一期生入学式を実施。

・2013年3月:日本人学校退職。  

2013年 上海理工大学日中文化交流中心オブザーバー、日本雲南聯誼協会(NPO)顧問 

Recent Posts
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page