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  • 小俣 晃子(国大29)

好奇心から広がる世界

Singapore Art Museum

「英語が話せないと、人生もったいない!」と私が気づいたのは高校1年生の時、ニュージーランドでのホームステイ先でのことでした。

生まれて初めて英語で暮らさなければいけない状況に置かれ、自分の気持ちが上手く伝えられず、もどかしくて心細くて、なかなか眠れなかったのを覚えています。2週間しかないのにホームシックになっている時間はない、と考え方を切り替え、うまく話せなくても自分の心をオープンにし、できる限りのことを伝える努力をすることにしました。

たった2週間で英語が話せるようになるわけはありませんが、帰る頃にはすっかりホストファミリーと仲良くなり、このままここで暮らしたいと思うほどになりました。ホストマザーは、大学でまたニュージーランドに来たらいいよと言ってくれ、それまでは地元の大学に進むことしか考えていなかった私は、大学でまたここに戻ってきたいと海外留学を思い描くようになりました。

具体的な目標を持った私は、帰国後自分なりに英語を身につけるべく勉強を始めました。まず始めたのは、毎日ラジオで基礎英語を聞くことでした。中学生向けの基礎英語から、大人向けのビジネス英語まで毎日欠かさず聞きました。テキストを読み、聞き、繰り返して口に出して話したことは、とてもいい練習になったと思います。次に会う時には英語がペラペラになってホストマザーを驚かせたい、そう思いながら手紙をやり取りしていました。好きな洋楽を何度も聴いて歌詞を書き取ったり、カラオケで洋楽ばかり歌ったり、楽しみながら英語に馴染んでいきました。

私が通っていた高校は、英語教育に力を入れた私立の女子校でしたが、海外の大学に進む人はおらず、ニュージーランドの大学受験情報も何もなく、志望校で海外の大学を選ぶなんて選択肢にありませんでした。それで私も自然と、まずは日本の大学に入学し在学中に海外に留学しよう、と国際関係学部を目指して受験勉強に励みました。

津田塾大学本館廊下

交換留学が盛んな津田塾大学に入学してからは、寮で優秀な交換留学生達や、留学を目指して勉学に励む友人達に出会いました。そんな友人達と寮のキッチンで毎日一緒に料理をし、食事を共にし、お風呂に入り、故郷の話や将来の夢を英語と日本語とで語り合ううちに、自然と英語も上達していきました。我が家は私費留学させてもらえるような経済的余裕はなく、奨学生として留学するほどのTOEFLのスコアは取れなかったので、残念ながら在学中に留学することはできませんでしたが、海外で勉強したいという夢が消えることはありませんでした。

そこで私は「長期留学はできなくても、留学した人と変わらないくらい、もしくはそれ以上の英語力を身につけ、彼らよりも濃い経験を在学中に実現しよう!」と、バイトに励みながら、低コストで実現できる最高の休暇をプランニングしました。

大学2年の夏、一人でバックパックを担ぎスイスのチューリッヒに行き、電車でフランス南東部のグルノーブルへ移動し、そこで2週間のボランティア活動に参加する計画を実行しました。そこでは各国から集まったメンバーと自炊の共同生活をしながら、マジックフェスティバルのPRと運営補助をしました。フランス語には苦労しましたが、唯一フランス語が母語でなかった、オーストリア人のサンドラとすっかり意気投合し、翌年の冬には彼女のお宅に遊びに行くほど仲良くなりました。そこで数日間人生2回目のホームステイをしたのですが、ドイツ語しか話さないご両親とも話をしたくてドイツ語にも興味をもち、帰国後は第三外国語でドイツ語を選択しました。必須授業ではなく趣味で受けていたので、試験は受けず単位にはなりませんでしたが、ドイツ語の先生がとてもよい先生で、下級生達と楽しくドイツ語を学ぶことができました。サンドラとはその後もメールで連絡を取り合い、日々の悩みや将来の夢を語り合う中で、自然と私の英語は上達していったと思います。彼女は英語が流暢だったので、私のドイツ語はその後上達することはありませんでしたが。

大学3年の夏には、フランス南部の都市アビニョンでホームステイをしながら、午前は語学学校に通い午後はダンススクールに通うという2週間を過ごしました。その後友人とバルセロナに寄ってパリへ向かい、シチリアまで縦断する約2週間の電車の旅をしました。3回目のホームステイ先のマムは料理上手で、毎晩野菜たっぷりのスープから始まり、チーズと果物で終わるコース料理を作ってくれ、パパは毎朝近所のパン屋さんでおいしいパンを買ってきてカフェラテを入れてくれ、私のつたないフランス語にも辛抱強く付き合ってくれました。自宅で仕事をしながら、趣味や家族との時間をゆっくり楽しむご夫妻の暮らしに触れ、私も将来はこんな生活がしたいと理想の家庭像を描くことができました。

大学4年の春、外資系金融企業に早々に内定をもらい、夏休み前に就職活動を切り上げ、1ヶ月間プーケットのリゾートホテルでバイトをしながら過ごしました。子供を預かるキッズクラブでのお仕事は毎日とても楽しく、世界各国から集まったスタッフやお客さんと交流しながら、たくさんのことを学びました。実はホスピタリティー業界での就職を希望していた私は、内定を蹴ってこのリゾートホテルグループで仕事をすることも考えましたが、 あるお客さんに「リゾートは一時的なパラダイスだ。君はこの経験を活かして別の仕事をした方がいい」と言われ、大人しく内定先の企業で経験を積むことにしました。そして将来はゆっくりリゾートを楽しめる方の人間になろうと思い直しました。

卒業旅行では、双子の姉と長距離バスでモロッコ各地を巡りながら、ボランティアで一緒だったモロッコ人の教師宅に立ち寄ったり、友人とフランスのアルザス地方を巡ったりしてきました。モロッコではあまり英語が通じなかったのですが、フランス語でバスのチケットを買ったり、レストランで注文をしたりすることができ、フランス語が話せてよかったと初めて実感しました。そして「これからは英語ができるだけでは不十分だ。2ヶ国語以上を話せるようにならなければ!」と新たな気づきを得ました。ちなみに、双子の姉はニュージーランドも一緒に行き、高校卒業まで私と同レベルの英語を話していましたが、それ以降英語に触れる機会があまりなかったらしく、残念ながら現在も高校時代から英語のレベルは変わっていないようです。

昨今、幼少期の英語教育の重要性が叫ばれていますが、私と姉の例をみてもらってわかるように、大学に入ってからでも本人の努力と環境次第で英語は習得できます。私は大学の4年間で、英会話学校に通うことも留学することもなく、英語でコミュニケーションができるようになりました。たくさんの人と出会い、楽しく充実した大学生活を過ごすことができたのは、東京に出してくれた両親と、津田塾や旅先で出会った全ての人々のおかげだと、感謝の気持ちで一杯です。

さて、外資系企業に入社後は、津田塾卒ということでなぜかバイリンガルのように扱われ、海外から来たプロジェクトメンバーの通訳をやらされたり、英語で資料を作らされたりしているうちに、それなりにビジネス英語もできるようになってきました。その後留学の夢を果たせないまま結婚・出産し、間も無く主人のシンガポール勤務が決まり、契約が延長するうちにあっという間に11年が経ち、現在に至っています。

まだバイリンガルというには程遠い私ですが、英語ができると海外生活も全く苦ではありません。携帯電話や保険の契約、引越しや修理など業者とのやりとり、学校や病院にお稽古やホテルの選択、英語ができれば誰に頼ることもなく全て自分でできます。日本語での情報は限られているので、英語で調べることで何百倍もの情報を得ることができ、豊富なオプションからベストな選択をすることができるのです。そして何よりも、言葉の壁を越えたたくさんの人と仲良くなることができ、子供達も自然と国際的な感覚を身につけていると思います。

又、英語ができると便利なだけでなく、誰かのお役に立つこともできます。幼稚園ママ達に英語を教えてほしいと頼まれたり、ベネズエラ人やイスラエル人の起業家ママに資料の和訳を頼まれたり、パート秘書をしていた銀行の上司から、長野県のPRプレゼンを英語でしてほしいと頼まれたり、日本に赴任するシンガポーリアンに日本の生活についてレクチャーしてほしいと依頼されたり、美術館のガイドツアーで資料を和訳したり、頼まれたことは基本的に自信がなくてもお受けしてきたので、私なりにお役に立てたかと思います。

卒業旅行のモロッコにて

ボランティアで英会話ランチをしたママ達は、英語で話したいけど不完全な英語を話すのは恥ずかしい、英語を使わなくても生活していける等々の理由で、英語を話したいという気持ちから逃げてしまう人が多いようでした。どこでどうやって英語を勉強したの?とよく聞かれるのですが、外国語を習得するコツは、「伝えたい」「わかり合いたい」という気持ちに素直に向き合うことだと感じています。スコアを伸ばすため、英検をパスするために勉強するのはあまり面白くありませんが、人とコミュニケーションする為のツールとして外国語を学べば、楽しく自然に身につけることができるのです。

言葉を話し始める2歳児のように、素直に「伝えたい」という気持ちに従えば、自然に伝える術を身につけ、世界は広がっていくはず、そんな風に思っています。

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