漢字のミリョク
津田アジアネットワークの皆さま、初めまして。北京グループの柳瀬です。ただいま、フィールド調査のため香港にお邪魔しています。限られた調査予算をケチりながらの一か月半の居候です。せっかく香港に来ているのですから、津田同窓会香港支部の方々とも交流を結びたいと思っています。2016年11月には香港支部総会があるということなので、北京グループを代表して「表敬訪問」いたします。北京グループの皆さま、勝手に「代表」してますが、お許し下さい。
本エッセイでは、津田アジアネットワークのみなさまへのご挨拶として、私が今香港にいる理由をからめつつ、自己紹介をいたします。
私は現在、九州大学の大学院に在籍して、漢字圏で日本にルーツを持つ子どもたちがどのように日本語を習得するのかをテーマに研究を進めています。私の津田の卒業年は既に公開されているので、年齢を隠すまでもないのですが、肌細胞と脳細胞の衰えを如何にアンチエイジングするかが、第二の研究テーマです。さて、第一の研究テーマの「漢字圏」ですが、漢字圏を代表する都市として、北京、香港、台北の三都市を選んで、フィールド調査を行っているところです。残念なことに、ここに上海が入っていないのは、ただ単に上記の三都市で調査日程と予算が限界に達してしまったからです。ごめんなさい。
さらに、何故「漢字圏」かということについてですが、漢字圏で育つ子どもたちの日本語習得で漢字が果たす役割を明らかにしていくことが、私の研究の大きな目的の一つなのです。皆さまもご存知のように、漢字があることで日本語と中国語の距離が非常に縮まります。漢字は言わば、日本語と中国語を繋ぐネットワークの活性剤ですね。それを実証して、漢字圏に住む日本をルーツとする子どもたちの日本語習得に役立てたいというのが、私の大胆な野望です。でも、このようなことをライフワークにするとは、私自身、ちょっと前まで夢にも思っていませんでした。
実は、私は漢字が苦手です。そもそも、小学校時代、漢字大好き先生が担任で、国語辞典で漢字の意味を調べる宿題をどっさり出されたり、4人一組の班で問題行動(例えば、遅刻とか宿題忘れとか)があると、班責任で漢字写しが罰として班員全員に課されたりしたことが、漢字嫌いの出発点だったように思います。引き際が潔い私は中学に進学すると、漢字=国語を捨て、シンプルだと思えたアルファベット=英語に励むことにしました。でも英語も受験勉強でほとほと嫌になり、大学進学後はその当時開設数年目というフランス語コースを選んで、英語を捨てフランス語に励むことにしました。皆さま、この流れの行き先はもうご推察なさっていることでしょう。フランス語も英語も、漢字も中途半端という哀れな末路です。
言語も行き当たりばったり、人生も行き当たりばったり、流されて辿り着いた先は、予想だにしなかった漢字の国、中国です。中国に移住する前、私は東京でしばらくの間、社会科の教員をしていました。主に世界史を担当していたのですが、世界史でも難しい漢字が出て来る中国史があります。進学校でなかったのをいいことに、「世界史は高二の一年間で終わらないから、中国史は近現代を除いて飛ばします」と漢字を思いっきり遠ざけていました。三国志が好きな生徒からはブーイングが起こりましたが、少数派です。1980年代後半、まだアジアブームは起こっていませんでした。
欧米に目が向いていた私は、ある年の夏休み、自己研修で「東西文化交流~草原の道」と称して、シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断する計画を立てました。そしてその旅の途中でスリに遭い、手持ち現金をすっかり失くしてしまったのです。その時、困り果てた私の目の前に救世主のように現れたのが、シベリア鉄道で知り合った香港人の夫婦でした。彼らは一宿一飯の施しをしてくれた上、どこの馬の骨だか分からない私に200米ドル、「ほれよ!」と気前よく貸してくれました。私はその太っ腹に心の底からびっくりしました。「中国人ってすごい人たちだなあ」と大感動したのは、中国残留孤児にまつわる中国人養父母の話も頭にあったからです。
翌年の夏休み、私は「シルクロード~玄奘三蔵法師の足跡をたどる」という研修テーマを提出しました。大阪から鑑真号に乗り上海に到着、上海から列車で3泊4日、新疆のトルファンを目指しました。トルファンは孫悟空の火焔山で有名ですから。そしてバスで砂漠を抜け、カシュガルからカイバル峠を越えパキスタンに到達する予定でした。ところが、トルファンの駅に降り立った時、またトラブルに遭遇しました。当時90年代初頭、新疆には改革開放の波はまだ遠く、トルファンの駅の傍にあった唯一の看板には、文字と思しき理解不能な記号が踊っているだけでした。読めません。私は必死で「漢字」を探しました。ありません。「漢字」がないなら、「漢字」を使う人を探すしかありません。そして、私は翌年「漢字」を使う人と結婚しました。
こうして、北京で漢字に囲まれた生活を送るようになりましたが、よりシンプルな簡体字だったのでまだ救われました。20年余り経ち、子どもに日本語を教えた経験から、日本語教育を少し研究してみようという誘惑にかられ、軽い気持ちで九大の大学院修士課程に入りました。ところが、修士論文を書いた勢いで博士課程に進学、苦し紛れに出した研究テーマが日本語の「漢字習得」なのです。それも、自ら繁体字の香港と台北を調査地に選ぶとは、漢字から遠ざかるどころか、自分から漢字に求愛したようなものです。おそらく、漢字にはそれだけのミリョクがあるのでしょう。
以上、私の簡単な自己紹介エッセイです。漢字のミリョクに引き寄せられ、いつか上海にも、もしかしたらシンガポールにもお邪魔するかもしれません。その節はよろしくお願いいたします。