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道智 万希子(国大3)

気付きの旅


 今、日本は休暇の時期。私が住む香港も休暇でいつにも増して空港は旅行者の往来が多い。空港の出発ロビーには、旅行者だけでなく仕事関係の出張者も。病気の家族を見舞うような重い気持ちの出発もあろうが、空港が、昨日までの日常から離れ新たな局面に向かう前向きな区切りの場所がゆえ、移動する人々の感情の高ぶりがざわめきとなって広がっているように感じる。到着ロビーでは、戻ってくる家族や友人を「いまか、いまか」と待つ人々の人を思う温かな気持ちや、大きなスーツケースに旅の疲れと興奮を詰め込んで帰ってきた人の安堵感が多くの人の流れの間を漂っている。空港がショッピングモールなど他の多くの人が集まる場所と異なる独特な雰囲気を持つのは、ここに人生の出会いと別れ、時間の流れと変化、異文化との出会いと同質性への回帰が凝縮されているからだろう。

  人は新しい経験に向かう高揚感と、異文化や異空間を経験し慣れ親しんだ場所に戻ってくる安堵感の間に、目から鱗が落ちるような発見や心を揺さぶるような驚きがあるからこそ、また旅に出かけていきたくなるのではないか。そして未知なる世界での新鮮な驚きや発見は、時に戸惑いやショックとなれど、自分が安住していたコンフォートゾーンを少し大きくしてくれるかもしれない。

  こんな事を強く意識したのが2012年10月のドバイ、アブダビへの旅だ。イスラム文化や中東は、当時の自分の世界の対極にあり興味が薄く多忙な時期だったので、他の人が全てアレンジしてくれたのでなければ参加しなかった。2010年10月にリタイアするまで金融機関で仕事をしていて中東の新興金融センターとしてのドバイは知っていたが、ドバイ・ショックもあったし石油成金国の一つというイメージしかなかった。行ってみてオイルマネーの威力が何たるものか、驚異を持って感じ取れた。ドバイとアブダビはアラブ首長国連邦(略称UAE)を構成する主要なふたつの首長国であり、連邦全体の面積の約8割を占めるアブダビ首長国が最大で首都もここにある。メソポタミア・インダス文明の頃から人が住んでいたが、国家成立はイギリスが1968年にスエズ以東撤退宣言を行なった後の1971年、首長国連邦が結成された。かつて漁業やらくだの飼育や真珠の輸出が主産業だったアブダビやドバイは、1958年にアブダビに油田発見以来運命が変わり、1970年代以降急速に近代都市へと発展していった。特に第3次オイルショックの2004年から、サブプライムローンに端を発したリーマンショックの2008年までは石油価格の高騰により目覚ましい急激な発展を遂げた。

 中東の金融センターと成長したドバイだが、リーマンショックで2009年には政府系不動産会開発会社やドバイワールド社が債務不履行。バブルがはじけ多くの大型案件が滞った。だが元々小さな面積で石油埋蔵量も少なく、金融、流通、観光を産業の柱とする政策だったため、観光都市としてのインフラは充実されてきた。特筆すべきは、ドバイ人口の8割以上がインド人他の労働者としての外国人という事実だ。自然発生的に成長したのではなく、政策で作られてきた街がドバイである。

  現在ドバイには世界一の高さを誇るブルジュ・ハリファ、7つ星ホテルと言われるブルジュ・アル・アラブジュメイラ、人工衛星から見える唯一の人工島群というパームアイランドやザ・ワールド、世界最大のショッピングモール(見学時間は十分なかったが、水族館から人工スキー場まであるそうだ)や巨大な噴水、建設中の世界最大のテーマパークとなるドバイランドというアミューズメントパークなど、とにかく「世界最大級」の建築物が訪れる人を圧倒する。

  エミレーツ航空(1985年設立)の拠点で、アフリカ・ヨーロッパとアジアを結ぶハブ空港のドバイ空港もまだまだ拡大され、そのうち平行滑走路6本を持つ世界最大の空港となるらしい。ドバイ空港は2014年国際線旅行者数で世界一になったが、中東、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、インド系といろいろな国の人々が行き来し、まさに世界を感じる、24時間眠らない空港だ。私がトランジットでターミナルビルの中を歩いたのは夜中3時頃だったけれど、クリスマスショッピングを思わせるような人のにぎわいで思わず時間を忘れた程だ。

  一泊したブルジュ・アル・アラブ・ジュメイラホテルは人工島に建設された320mの超豪華ホテル。ホテルロビーには巨大な水槽があり、部屋は170平米の全室スイートで、ホテル真ん中の吹き抜け空間は最上階まで続く。帆船をイメージした白い外観は紺碧の海と空に映えて本当に美しかった。すぐそばの白砂ビーチの水も透明度高く波も穏やかでリゾート地として一見の価値ありだ。

  828mで高さ世界一を誇るブルジュ・ハリファは2010年オープンの、ホテル、商業および居住施設を持つ複合施設だ。世界第2の高さの東京スカイツリーは634mで通信用タワーなので、高さも、タワーとしての性格も異なる。展望台の高さは東京スカイツリーが451mに対し、ブルジュ・ハリファのザ・スカイは555m。124階のAt The Top(452m)という屋外展望台に行ったが、足がすくむほど十分に高い。それより100mを超える高さの展望台からは何が見えるのだろうか。122階には素晴らしい眺めと料理を提供するレストランがある。冷房が効いた122階でシャンペンを飲む贅沢に恐縮しつつ外をみると、空に続くペルシア湾の青と市街地の向こうに広がる砂漠の砂色の境界線がぼんやり見え、どこまでも続いていそうな乾いた大地に張り巡らされた高速道路が、石油のもたらした富を誇示するように光っていた。

  アブダビではシェイク・ザイード・グランド・モスクを訪れた。これはドーム80個に柱1000本、本堂内に敷き詰められた世界最大の手織りカーペット、直径10m、高さ15m、重さ9tの世界最大級のシャンデリアと、これも「世界最大」という修飾語がつくモスクだ。ここでも真っ青な空を背景にドームの白と金箔の光が際立っていた。ここでは女性は皆黒いアバヤを着用しないとモスクに入れないので私も初めてアバヤを着た。ちょっと抵抗あるイスラム女性の全身を覆う黒い服だったが、着てみたらギラギラの強い太陽光線の下で、自分を包み守ってくれる膜がふんわりと全身にかぶさるようで心地よく、以外と涼しいのに驚いた。

  この日宿泊したのは、アブダビから2時間以上走った砂漠の真ん中に建つアナンタラ・カスール・アル・サラブ・デザート・ホテル。ちょうど日没前に到着、ホテルのバルコニーから見た、砂漠に夕日が沈んでいく様は美しく幻想的で、誰も言葉なくじっとただ見つめていた。砂漠という大自然と、砂漠の中に作られた、砂漠への挑戦とも、人間の欲望の極みとも言える豪華ホテルの対比が際立ち、大きな夕陽の濃いオレンジ色が一層強く鮮やかに心に沁みた。こんな砂漠のど真ん中に大きなプールもあり、部屋には大人3人入れるほどの大きなジャグジーバスがあり、スパもありと、水が何よりも貴重な砂漠で水を贅沢三昧に使える事が富の象徴とばかりに作られたホテルでは運営が大変ではと聞けば、近隣の町からパイプで水を引いているとの事。それとて長いパイプを砂漠の地下に埋めていく工事がどれほど大変だったか、働いた人々の苦労が想像される。

  その他アブダビでは、フェラーリ・ワールドやF1ヤス・マリーナ・サーキット見学、砂漠サファリとラクダ乗り、ゴールドのベンディングマシンがある豪華絢爛なエミレーツ・パレス・ホテル滞在など、この旅では私の日常生活からかけ離れた贅沢な空間をいろいろと体験した。

  砂漠とオイルマネーの作った街、ドバイ、アブダビ。この水資源の無い土地で海水を淡水化し、贅沢の極みを無尽に追求する人工の街を旅した1週間で強烈に思った事は、「人工」と「自然」だった。日本での贅沢空間とは比較にならない、アブダビ、ドバイの「世界一」という建物や施設の数々には優れた技術やハイテクが使われ、現代社会の知識と知力、そして巨額なオイルマネーや世界からの投資資金がつぎ込まれただろう。それらは圧倒的で、ひれ伏して仰ぎ見るしか無いが、砂漠の乾いた空気と厳しい暑さに負けじと建つ巨大建築は、水が途切れたらそこは人の住まない空虚な空間となるという脆弱性を持っているのではないか。技術でそういう事はあり得ないようにリスク計算をして設計されているのだろうが、大地に足がついている生活とは対極の贅沢さには何か居心地の悪さや落ち着かなさも感じた。ドバイ旧市街のスークを歩く事で心のバランスをとりながら、「世界一」の巨大建造物という無機質な「物」に対する人間生活の平凡な日常の営みを考えた。そして日本の、緑と淡水にあふれる自然の恵みや、香港の街市(肉や魚、野菜・果物など食料品を売る小さな商店が立ち並ぶマーケット)の泥臭い人間らしさを思った。

  「百聞は一見にしかず」。この旅での経験と見聞で私は、日常生活が繰り返されると小さく凝り固まってくる自分の世界を一旦壊し、感謝とともにそれを再構築する事が出来たと感じている。そしてしばらくしたら、また固まってくる自分の世界に刺激を与えるために、また旅に出かけようと思う。

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