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  • 川岸 陽子(国大14)

4年ぶりの日本に帰国して

2011年4月震災直後、夫の海外赴任に伴い中国北京に渡り、このたび4年ぶりに本帰国した。夫が中国に転勤になると聞いた時、「英語圏だったらよかったのに。中国か~。。。」と後ろ向きの気持ちだった私。それでも気持ちを奮い立たせ自費で中国語を習いに行き中国渡航に備えたが、日本人100%の公寓(マンション)に住めば中国語の必要性もなく、いつしか中国語修得の意欲も失せ、4年間在住してもニーハオレベルの語学力でお恥ずかしい限り。こんな親に育てられたので、二人の子どもも学校の週1時間の中国語の授業のみで殆んど中国語に接することがなかった。当初は上の子どもの受験準備にかこつけて2年ほど滞在して母子での先行帰国を考えていたが、思いのほか居心地のよい生活だったため滞在が4年に延びた。4年も居たのなら子どもたちにも中国語を習わせ、もっと現地の生活に親しませればよかった。異国の地で生活しても日本の生活とほとんど変わらなかったなあ。。。では4年間中国で生活して一番良かったことはなにか。

外国で生活した上で一番良かったことが、(理想とするところの全く逆説的な気もするが)二人の子どもたちが、私が子ども時代に過ごした「昭和の日本の世界」で生活出来たこと。ご近所皆が顔見知り、個人情報保護も何もない。日本人学校に通う家庭のみだが、子どもの名前、部屋番号、固定電話、携帯電話番号入りの名簿が配られ、公寓内の殆どの家庭の顔がわかる社会。(昔は町内会の名簿があったなあ)こんな私が思うところの「当たり前な社会」で二人の子どもが幼少期を過ごすことが出来たことが本当に良かった。公寓内ではお節介なおばさんが他人の子どもの世話を焼く、悪いことをしたら注意をされる。面識が無くても名簿を頼りに電話をかけて頼みごとが出来る。電話が掛かってきたら「はい、○○です」と名乗って出られる。電子レンジが壊れれば、隣の家のものを使わせてもらう。アポなしで他人の家を訪問できる。当然子どももアポ無しで友だちの家を訪問。遊ぶ子がいなかったら公寓内の公園に出かけ、異なる年齢の子たちが入り乱れて遊ぶ。どれも私の子どもの頃は当たり前のことだったが、現在の日本では叶わない。

個人情報保護法が出来てから、日本は「匿名社会」になったと言われる。学校の名簿からは住所が排除され、誰がどこに住んでいるのかも分からない。名簿そのものが無い学校も少なくないと聞く。病院では番号で呼び出される。家には表札がない。少し前なら、「犯罪防止のため女性がフルネームで表札を出すことは止めましょう」だったが、今では表札そのものを出している家が少ない。マンションでは8割方出していない。当然町内の名簿などない。4年間日本を離れている間に「匿名社会」は更に進化したようだ。帰国後子どもが地元のサッカーチームに入ったが、ユニフォームの背番号の上に名前がない。それどころか試合では、保護者が子どもの名前を呼んで応援したらいけないそうだ。応援はチーム名ですること。理由の一つが個人情報保護。びっくりして開いた口がふさがらない。

 小学生の頃、時々学校の名簿を頼りに母と買い物ついでに友だちの家を見に行ったことがあった。「○○ちゃんはここに住んでいるのね。随分立派な家に住んでいるのね~」とか。今そんなことをしたら変質者扱いだろう。別に家の品定めをしたかったわけではない。住んでいる地域や友だちのことを知りたかっただけ。でも住まいは究極の個人情報に位置付けられているという。また、運転免許証から「本籍地」の記載がなくなって久しい。これも現住所以上に?厳格に守られるべき個人情報だという。以前は役所などで書類に本籍地を記載する際免許証で確認していたが、今ではそれが出来ないため、帰国に際し住民登録をする時本籍地が分からず、まだ北京在住の夫も巻き込んで右往左往した。

 犯罪が多発する昨今の日本。個人情報保護は強化され、以前の状態に戻ることはもうないだろう。それは仕方ない。しかし各人が「匿名」で生きているこの社会に薄ら寒ささえ感じる。匿名で生きていれば責任の所在ははっきりしない。インターネット上では匿名での発言がエスカレートすることがそれを物語っている。かつては人と人とが最低限の情報を出し合ってつながっていることで得られる社会の安心、安全といったものがあっただろう。しかし現在の日本ではそういったものが壊されていると思う。そして個人情報保護に重きをおくあまり、社会での思いやり、助け合い、話し合いがしづらくなり、また無責任主義がはびこっているような気がしてならない。

 これからの子どもたちはこのような社会で生活していくことになるのだ。こんなことを考えていると、中国で暮らしていた「日本人村」が懐かしくなる。子どもたちは公寓内で他所のおばさんに注意されて鬱陶しいこともあっただろう。日曜の朝まだ寝ていたのに友だちが訪ねてきて起こされることもよくあった。でもお互いがお互いのことをよく知っていたし、困ったことがあれば互いによく助け合った。皆が顔見知りだから恥ずかしいことは出来なかった。こんな「当たり前の」社会で子どもたちが幼少時を過ごすことが出来たことは本当に幸運だったと思っている。

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