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田村慶子(国大9)

書評 日本人のシンガポール体験

書評掲載『日本人のシンガポール体験』(西日本新聞) - 株式会社 人文書院

StartFragment西原大輔 著『日本人のシンガポール体験』が2017年5月14日『西日本新聞』書評欄に掲載されました。 評者は北九州市立大学田村慶子先生です。EndFragment

ビジネスでも観光でも日本人に馴染みのあるシンガポールには、東南アジアの交通の要衝に位置するゆえに、平安時代から現代まで数多くの日本人が訪れた。著者は1992年から1年間シンガポール国立大学日本研究科に勤務したことをきっかけに、シンガポールを題材にした日本人の小説、旅行記、エッセイ、詩などの膨大な資料を丹念に読み込んだ。本書は、著者の真摯な努力によって、日本人がシンガポールをどのように見てきたのかという優れた記録、同時に、文学者の足跡をシンガポールのあちこちに尋ねるという「文学散歩」の珠玉の著にもなっている。

著者が紹介する著名人は数多い。1832年乗った船が漂流し、後にシンガポールで市民権を獲得、貿易業に従事して大成功した音吉。音吉は遣欧使節団の一員としてシンガポールに寄航した福沢諭吉を尋ねるが、福沢はイギリス軍艦の通訳として来日した音吉に長崎で数年前にも会っていたというエピソードは興味深い。シンガポール港を漢詩に詠んだ森鴎外、観光を楽しんだ夏目漱石。島崎藤村は日本人小学校で講演まで行っている。

日本軍政下の「昭南島」時代(1942~45年)に徴用された多くの作家の1人である井伏鱒二は、意外なことに英字新聞編集の総責任者も務めていた。歴史小説で有名な吉川英治や林芙美子もこの時代のシンガポールを訪れている。

本書は、シンガポールの失われた風景に関する貴重な記録にもなっていることも指摘したい。独立(1965年)以来、ジャングルは切り開かれ、丘は削られ、海は埋めたてられて、工場やオフィス、住宅、道路に変貌した。ラッフルズホテルの前の道路「ビーチロード」は、昔ここが海岸沿いだったことを示しているが、もはや海は遠い。日本の多くの文学者や詩人、画家が愛した風景や親しんだ場所、散策した道、宿泊したホテルのほとんどは、今はもう存在しないのである。本書を紐解くことで、発展を遂げた超近代都市シンガポールの往時の姿、明治から昭和初期にかけての素朴な南洋の風景も、読者は思い描くことができるのではないか。

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