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  • 高井ちひろ(2017年 英文学科多文化・国際協力コース卒)

アジアでの楽しい修行

開発 授業

 国際協力について大学で学ぶにつれて「発展途上国」と呼ばれる国で実際に生活してみたいという思いが強くなり、大学3年の夏から1年間フィリピン大学へ交換留学生として派遣されました。

毎日の水シャワー、毎夜中の断水、時刻表のない交通機関、雨季には毎日スコールの後は足首まで水に浸かりながら歩く道路など、単純に日本での生活と比較すると不便なことが多くありました。

ジープニー

しかし不便な暮らしをしながらも、フィリピン滞在中に孤独を感じた記憶がありません。クラスメイト、留学生寮のマネージャー、教授を含む大学職員、ボランティアとして関わったNGОのスタッフ、NGОが支援するゴミ処分場近くの住民、毎週通ったアイスクリーム屋の店員。顔を合わす度にジョークを飛ばしてくれる人たちがいました。たくさんの人との繋がりを通して、フィリピンという国に、土地に受け入れてもらえているという温かい感覚がありました。ジプニーと呼ばれる乗り合いタクシーでは、乗客の手渡しリレーで運転手まで運賃が運ばれ、また手渡しでおつりが返ってきます。自然と「お願い」「ありがとう」のやり取りが生まれました。ゴミ処分場付近の家にホームステイをした時、その家のお母さんはご馳走を用意してくれました。日曜日にクラスメイトを遊びに誘うと必ず「日曜日は家族で教会に行く日だから」と断られます。人と人の関わり、家族の存在が何か日本とは違うと感じ、フィリピンの不思議な温かさに魅了されました。

大学 モニュメント

 私が所属する多文化・国際協力コースでは、フィールド調査を基に卒業論文を書くことが卒業要件として定められています。留学中に問題意識を持った「フィリピン人女性の出稼ぎ」を卒業論文のテーマに決め、香港で家事労働に従事するフィリピン人女性へのインタビュー調査を行いました。初めて訪れた香港では、津田塾大学同窓会アジアネットワークにコンタクトしたところお話を伺うことができ、論文執筆の際にとても貴重なデータとなりました。今まで、津田塾の先輩方と交流する機会はなく、この度初めて国内外に同窓の輪があることを知りました。おかげさまで無事に卒業論文を提出し、発表会を終えました。

以下、簡単ですが卒業論文「フィリピン人女性の出稼ぎ家事労働-“献身”と“自己実現”から考える-」の要約を掲載させていただきます。

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フィリピンは出稼ぎ大国と言われている。国民の10人に1人が海外へ出稼ぎに出ており、世界各国からの送金がフィリピン経済を支えている。フィリピン人女性出稼ぎ労働者の多くは海外で家事労働に従事しているが、住み込みの家事労働者は厳しい労働環境や差別、虐待の問題に直面し得ることが指摘されてきた。フィリピン人出稼ぎ労働者の特徴として比較的高学歴であること、必ずしも専門知識や技術を必要としない職種を選択することが挙げられ、渡航先で彼らの技能や学歴に見合った職業に就いているとは認めがたい。香港で家事労働に従事するフィリピン人女性出稼ぎ労働者への観察、聞き取りを通して、世界規模で家事を請け負う彼女たちが労働に求めるものは一体何かを調査、考察した。

調査の結果、フィリピン人女性は、現代を生きる我々の労働観とは全くかけ離れた前近代的な労働観を持っていることが明らかになった。家族、子どものために出稼ぎに行く彼女たちにとって、労働とは家族への献身としての活動であると言える。また、家事労働という仕事を選んだ理由は「考えたことがない、分からない」と言い、職業選択に特別な理由などなく、家族のためにできることをしているのである。

国民国家という近代の枠組みでフィリピンを捉えると、伝統文化やナショナル・アイデンティティを持たない国だと言われてきたが、その枠組み自体が揺らぎ始めたら、フィリピンは「一周遅れのトップランナー」のようだと清水(注)は述べる。フィリピンの労働観においても、近代の枠組みを外して再考してみると、必要以上に人を駆り立て疲弊させると言える「自己実現の罠」から自由なフィリピン人女性の姿が見えてきた。では、フィリピンはなぜ近代化しなかったのか。要因の一つとして、フィリピン人は家族やバランガイと呼ばれる中間共同体に守られ、国家に頼らずとも幸せに完結した世界を築いていることが挙げられる。近代化の波にのまれずに前近代的な生活の中にある「豊かさ」を守ってきたのは、積極的な「ふみとどまり」だと言えないだろうか。

とは言え、高等教育を受けた女性たちが世界中で家事労働を請け負っていて本当に良いのだろうか。家事労働者が搾取される側であることは事実であり、国境を越える家事労働はグローバリゼーションの矛盾によって生まれた一時の職に過ぎないかもしれない。しかしフィリピン人女性は例え家事労働者としての職を失っても、再びしっかりした中間共同体であるバランガイに戻り「また家族のために何かできることを探そう」と立ち上がり生き延びるだろう。フィリピンには、マスローが主張する、「人は自己の可能性を最大限に実現しようとする欲求を持つ」では説明しきれない、「自己実現」の欲求から離れた生き方がある。

(注)清水:清水展、フィリピン研究者

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いきいきと働き、不思議な温かさを持つフィリピン人女性の研究から、窮屈な現代社会をより良く生きるヒントを得られたと思います。社会に出る前に一度立ち止まり、生き方や働き方をじっくり考えたことは、今後の大きな糧になると信じています。

卒業後は水インフラに携わる仕事に就きます。「人々の生活の基盤を支える仕事をしたい」という思いと、フィリピンで水に苦労した経験から、水を通して社会に貢献するという夢を抱くようになりました。いつか海外事業にも挑戦したいと考えています。会社に津田塾の先輩はおらず私が一人目の採用ですが、早くも後輩から相談を受けています。私も津田塾の同窓の輪に仲間入りさせていただき、多くの先輩方にご指導、ご支援いただきながら、次のバトンを後輩へ繋げていきたいと思います。

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