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江崎 恭子(英大43)

私の上海あるある


 2016年、早いもので私は上海で6度目の秋を迎えました。先日6年目にして初めて本場の陽澄湖を訪れ、シーズン真っ盛りの上海蟹(大闸蟹)を食べて来ました。本場ではオス(公蟹)& メス(母蟹)1対でも値段は市内の半額以下、サイズも断然大きく、とても食べごたえがありました。陽澄湖に行く数日前には、「香港で上海蟹から基準値以上のダイオキシンが検出された」というニュースが飛び込んでは来ましたが、上海6年目のベテラン選手!そのくらいでせっかくの陽澄湖行きをキャンセルするような野暮なことは致しません。蟹の剥き方も年々上手くなり、食べちゃいけないビラビラなんかも器用に取りながら、濃厚な味をたっぷり満喫!蟹は身体を冷やすらしいので、温めた黄酒(紹興酒)ももちろん忘れずに一緒に頂いてきました(笑)。

このように今は上海での生活をエンジョイしている私ですが、まさか中国で暮らすことになるとは全く思ってもいませんでした。どちらかといえば欧米のカルチャーに影響を受けてきましたし、物流企業では英語を使う機会も多かったですし。中国語と言えば“ニイハオ”と“シェイシェイ”しか知らず、中国に関する知識もかなりお粗末なものでした。

そんな私の経験した「上海生活あるある」を今回のエッセイでは書いてみようと思いますので、どうぞ少しだけお付き合い下さい。

「中国語」

外国人もたくさん暮らす“いんたーなしょなる・してぃー上海”。「困ったら英語で・・・」と思っていたのに、来てみてビックリ!タクシーだってレストランだって英語はほとんど通じやしません。3カ月前に上海生活を始めた夫がタクシーの運転手に、私の全くわからない中国語で行き先を指示しているのを見て、愕然としました。買い物、レストランでの注文、マンション内の修理など、日々の生活での中国語の必要性を感じ、重い腰を上げて私は勉強を始めました。来た頃に比べれば、今ではタクシーの運転手には行きたい場所は言えるし、市場での値段交渉のためにおばちゃんにお世辞を言ったり、ぼったくりに簡単な文句を言えるくらいにはなりました。「一生懸命勉強して中国語が相当レベルアップしたのね?」-いえいえ、通じなくても凹まない強いハート❤を持てるようになったからです!

「よく聞かれる・よく言われる」

少しずつ中国語がわかるようになると、中国人と接する機会が増えてきますが、よく聞かれるのは「マンションの家賃はいくらなのか?」「ダンナの給料は幾らか?」(笑)。「私は知らないのよ・・・」と適当に誤魔化しています。また、子連れの友人と一緒に歩いていると知らないおばさんから「何で子供に靴下履かせないんだ、足を冷やしちゃだめだよ」と9割くらいの確率で怒られます。

「ローカルバス」

上海では地下鉄も今や16路線あり便利ですが、慣れてくるとバスがなかなか快適です。今ではアプリを駆使して、あと何分でバスが来るなんていう情報もわかります。ただ日本のバスと違ってバス停の場所やルートが行きと帰りで違うので、最初はとまどいました。また押しボタンがないので、降りる時は降り口に立ち「降りるぞ!アピール」が必要なのですが、来たばかりの頃混雑時に人が多く降り口まで進めず、目的の場所で降りることを泣く泣くあきらめたなんてこともありました。今なら大きな声で「降りま~す!待って、閉めないで~!」と中国語で言えますが、昔の私には無理でした・・・。最近ではバス停じゃないところでいきなり止まるのでおかしいなと思ったら、運転手さんがトイレに行ったなんてことも!

「子供に優しい中国」

我が家には子供がいないのですが、子連れの友人と出かけると中国の方達はよ~く話しかけてきます。レストランでウエイトレスさん達は子供たちに寄ってきて、抱っこしたり、あやしたりもしてくれます。友人の子供が泣いていたら、果物をくれたり、空いている部屋があるから寝かしてもいいよと言ってくれたりしたこともありました。電車やバスなどの公共交通機関やレストランでの子供の泣き声に神経質になっている日本のママさん達の苦労を聞くたび、中国は子供に優しい国だなと思います。少子化対策には大事なポイントですよ、安倍さん!

「故障や修理」

セキュリティーもしっかりしたマンションに住ませて頂き、安心して生活が出来ているので有り難い限りなのですが、とにかく色んなものがよく壊れます。トイレ、洗濯機、エアコンの故障は本当にで困ります。1日も早く修理して欲しいのですが、やはり日本のようにスムーズにはいきません。時間どおりに修理に来なかったり、交換部品を持ってこなかったりなど、修理が1日でスムーズに終わることはほぼなく1週間とか平気でかかってしまうのです。猛暑日続きの夏にエアコンがなかなか直らなかった時は泣きそうでした。その他置き場に入らないサイズの洗濯機が送られてきたり、目の前で業者さん同士で喧嘩を始めたり。。。最初はイライラやビックリが止まりませんでしたが、今では以前よりはちょっとだけ広い心で対応できるように(=ガマン強く!)なりました。

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「出逢いと別れ」

「友達なんて出来るんだろうか?」と上海に来る前には思っていました。仕事もないと職場での出逢いも当然なく、子供がいないとママ友というきっかけもないわけで。。。しかし中国語、中国茶、料理教室、ヨガ、ワイン、中医、薬膳などなど、興味がある色んな習い事や集まりにちょっとずつ顔を出していくうちに、この5年半でたくさんの素敵な友人達と出会うことが出来ました。スーパー、クリーニング屋、中医クリニックなどよく行く場所で顔を合わせる中国人の皆さんにも本当に親切にしてもらっています。そんな素晴らしい友人達のおかげで現在私の上海ライフはとても楽しいものになっています。

津田塾の上海同窓会での出逢いももちろんそうです。上海で仕事のキャリアを積まれている方、中国人と結婚されて上海で暮らしている方、津田に留学後上海に戻り日系企業で働かれている上海人の方、日本で定年退職後新たなチャレンジの為に上海に単身で来られている方、もちろん私のような日本人駐在員の妻の方、、、年齢や置かれている状況は様々なのですが、津田の皆さんはどこかに“津田スピリット”を持っていて、色んなことに努力したり、同時にエンジョイしたり、そして海外での時には不便な暮らしにもたくましく、そして明るく前向きに向き合っている方が多く、お話しをするといつも刺激を頂けるのです。

吉浦友紀さん(2002年・英文卒)もそんな津田の友人の1人でした。上海同窓会幹事をしてくれていた友紀ちゃんは、香港や北京での生活経験もあり、中国語は難関のガイド検定試験に合格するほど堪能、上海では名門・復旦大学大学院で中国の若い学生と一緒に観光学を学ぶような努力家でした。買い物や食事などにしょっちゅう一緒に行くうちに私はとても彼女と仲良くなり、勝手に妹のような存在だと思っていました。そんな彼女が今年5月、病気のため39歳の若さで亡くなりました。

ご主人の転勤、お子様の進学など色んな事情で上海で出会った方とのお別れを私もこれまで経験して来ましたが、友紀ちゃんとの別れは特別に辛いものでした。突然悲報を聞かれた津田塾同窓会/上海・香港の皆様も同じお気持ちだったに違いありません。たまたま私は日本に一時帰国中で、葬儀に参列しお別れもしてきたのですが、今でもまだ実感はなく、九州に一時帰国中にふらりと友紀ちゃんに会えそうな気がしたりします。

私にはもはや何も出来ませんが、でも彼女を見習って色んな事に勇気をもって挑戦したり、努力を続けたり、彼女に教えてもらった事を他の方に伝えたり、、、自分ができることをできる範囲でしていきたいと思っています。そしてこの秋に3歳のお誕生日を迎えた上海生まれの息子さんが健やかに成長されることを心から願うばかりです。

「最後に」

夫の仕事や会社の都合なので、いつまで上海にいるのか?自分では決められずもどかしい毎日ではありますが、私が上海を離れる日もそんなに遠い話ではないと思います。最近は日本(多分?!ですが)に帰ってからのことを少しずつ考えたりすることもあります。仕事から離れてだいぶ年数が経ち社会復帰する恐怖も感じますし、きっともう以前のような働き方はできないでしょう。でも、上海で笑ったり泣いたり怒ったりしながら積み上げていった色んな経験を糧に、出会った素晴らしい友人たちを財産に、そして私の心の奥底にもちょっぴりは流れているであろう“津田スピリット”を信じて、どんな場所でも、どんな方達とも触れ合いながら、成長していきたいと今は思っています。

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