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西迫ヨシエ(国大15)

香港で猫と暮らす


  ちょうど3年前、一念発起してネコを飼うことにした。しかも仲良く一緒に遊ぶだろうという理由で、同じ母ネコから産まれた2匹を同時に飼うことにしたのだ。双子のラグドールで、女の子のネコをモチ、男の子のネコをパフィンと名付けた。

香港に来てから13年半になるが、来た当時は3歳の長男と生まれたばかりの次男で手一杯で、ペットを飼うなど頭の片隅にもなかった。これまでに引越しを3回したが、ペット禁止の住居も多く、ペットを飼うなどまさに非現実的な話であった。しかし、子どもたちが成長するにつれ、「友だちはみんなペットを飼っているのにどうしてうちだけ飼えないのか」「ペットほしい」「ネコほしい」と毎日せがまれるようになった。

自分もペットを飼いたくないわけではなかった。それどころか、ペット、特にネコを飼うことが、実は子どもの頃からの夢だったのだ。そしてネコを飼うなら、絶対に瞳はブルー、毛色はシールポイントと決めていた。子どもの頃、実家の近所には野良ネコがたくさんいて、テリトリー争いに勝ったボスネコが毎日のように実家の縁側に餌を食べに来ていた。しかし家の中で飼うことは決してかなわぬ夢だった。父方の祖父の「動物の霊は低級霊」「死んだ後に悪さをするから絶対に飼ってはならない」という教えがあったからで、外飼いでさえも父親には内緒だった。

(写真1; 高いところから外を眺めるのが大好きなモチ)


そんなある日ふと縁側に目をやると、小さくてかわいい三角形の物体が2つ、突き出しているのが見える。近寄るとその物体の持ち主は姿勢を低くして隠れようとする。でも2つの三角形はおちゃめに突き出したままだ。そっと見守っていると今度は、その物体がブルーのぱっちりまあるい瞳とオットセイ色の小さな鼻先をのぞかせた。「シャムネコだあ!」と叫ぶと、「シャムネコが来るわけないでしょう」と言いながら、母がちょうど焼いていた鮭のかけらを持って台所から出てきた。「あ、ホントにシャムネコだ。どこからか迷ってきたのかしら」「鮭焼いてるにおいがしたのね」と差し出すと、その子はそのブルーの瞳をキラキラさせて夢中で鮭を食べた。そしてその子を「ラム」と名付けうちの父親に内緒で外飼いするようになったのである。そのうち避妊手術だの、足をケガしただので動物クリニックへ連れて行くようにまでなった。いずれはうちのネコとして家で飼うことが許されるかと子ども心に淡い期待があったのだがかなわず、黄色や緑のガラス玉がついた赤い首輪をつけネコ缶をしょわせて、涙を飲んで友人の家へ送り出した。それ以来、自分の中でラムが理想のネコとなったのである。


  


  ところで3年以上におよび子どもたちにしつこくせがまれた末、ここ香港で積極的にネコ探しをすることに決めたのが4年前、ラムの面影を求めてペットショップに立ち寄るようになる。しかし香港ではブリティッシュショートヘアがブームでシャムネコなどどこにもいない。大体シャムネコというのは比較的気が強い品種らしく、あまり人気がないのだそうだ。あきらめずしばらくねばってみようと探し続けたが、シャムネコはどこにもいなかった。そんなある日、子どもたちと立ち寄ったペットショップのショーウィンドウで、ラムとの思い出を彷彿とさせる子ネコたちが元気に遊んでいた。シャムネコかと思いきや、その子たちは生後4か月でシールポイントのラグドール、それがモチとパフィンとの出会いだった。 (写真2;遊び疲れて休憩中のパフィン)


  


  そして2018年3月、ネコたちと共に暮らす日々が始まる。実際に飼うと決めた時は、うれしい気持ちと飼い主としての責任感、そして親としての覚悟がごちゃ混ぜになった複雑な心境だった。子どもたちのように単純に喜んでばかりはいられない。ネコフードや食器、猫砂、爪とぎ、おもちゃなどの必需品を揃えたり、トイレトレーニングの段取りを考えたりしなければならない。そして、たった一度の粗相を除けば、モチとパフィンは順調に新しい生活に溶け込むことができたようだった。そして言葉は通じなくてもいっしょに暮らすうちに、私たち家族は何となく、モチやパフィンとコミュニケーションが取れているような気がするようになった。しっぽの動きや鳴き声で、ネコの気持ちがわかるようになり、ネコたちは爪を出して引っかいたことは一度もなく、私たちを信頼してくれているのだと感じた。夜は私たちの足元で眠るようにもなり、モチとパフィンは私たちの大切な家族の一員となったのだった。


  ラグドールというネコはその行動に犬に似たところがあると言われているが、実際モチとパフィンもとても犬っぽい印象がある。追いかけっこや球拾いが大好きで、鈴入りのボールを見つけると口にくわえ得意満面で戻ってくる。またネコは孤独を好み1匹で勝手に行動する傾向にあると言われているが、なんだか違う。昼寝から目覚めるとすぐさま「遊ぼう」「一緒に走ろう」と話しかけてくるし、疲れて寝たかなと思いそばを離れると、起き上がってまたついてくる。家族がお風呂に入ったり歯を磨いたりしている時も、バスルームの前でずっと待っているのだ。しかしやはり、犬よりネコを飼う方がずっと楽に違いないと家族全員そう思っている。犬を飼ったら定期的に体を洗ってあげなければならないし、毎日の散歩も欠かせないからだ。ある友人は毎日必ず3回、夜中でもペットのダックスフントと散歩をしているが、私たちにはとてもそこまでの責任を持てる自信がない。


(写真3;春の記念写真モチ(左)とパフィン(右))



ある日、パフィンが食べた物を嘔吐した。ネコは毛玉ができるからよく吐くし、当初は心配していなかったのだが、パフィンはだんだんと吐く回数が増え、毎日嘔吐するようになった。動物病院で検査をしたが、パフィンがどうなってしまうのかわからず検査結果が出るまで私たちはとても不安な気持ちで待った。結果は炎症で胃の壁が厚くなっていたが、幸い悪性のものではなかった。その後毎日胃薬を爪切りで小さく切ってのませ、約1か月後、パフィンはやっと元気になった。またパフィンは生まれつき、白内障を持っていた。ネコの白内障は非常に稀な病気らしいが、先天性の白内障はもっと稀な病気なんだそうだ。なぜよりにもよってこんな珍しい病気にかかって生まれてきたのか。母ネコのお腹の中で菌に感染することから起こるらしいが、双子のモチが全く大丈夫なのになぜパフィンだけが、と謎が深まるばかりだが、とにかくパフィンが1歳になるのを待って、白内障手術を受けた。しかし、それよりもっと大変だったのは、まる1年間続いた術後のケアである。時間になるとパフィンを捕まえタオルを巻いて動けないようにし、何種類もの目薬をささなくてはならない。ベタベタする目薬のせいで目の周りの毛がカリカリに固まってしまい、首の周りにカラーをまいて自由を奪われ、とぼとぼと歩くパフィンの姿はとても痛々しくかわいそうだった。そして私たちは、パフィンの目が本当にまた見えるようになるのかと、毎日心配で怖い思いをしていた。



  これまで3年間ネコたちといっしょに暮らし気づいたことは、ネコを飼うということは思っていたほど簡単ではないということだ。日常の世話については犬の世話より確かに楽なことがあるかもしれない。しかし、自分のネコが人間と同じように思いもかけず病気になったりケガをすることがある。パフィンのようにネコとしては珍しい病気を持って生まれる場合もある。正直言って当初は、管理がずさんなブリーダーや誠実な対応をしないショップに対し、憤慨を覚えることもあった。もし私たちがパフィンと出会わなかったら、パフィンはどうなっていたのか。白内障を持ったネコなど誰もほしがらず、パフィンは殺処分になっていたかもしれない。そう考えると、パフィンの命を守ってあげられるのは偶然にも彼を家族として迎え入れた飼い主の私たちだけしかいないのだと強く思う。


  陽だまりで子どもと本を読んでいると、2匹がそばに寄ってくる。そして小さくかわいい三角形の耳をほんの少し後ろに倒し、のどをゴロゴロさせながらニーディング(足をふみふみする動作)をして寝場所を整え、身づくろいをしてアンモナイトのように丸くなる。「モッちゃん、パフちゃん、お昼寝の時間かな」と話しかけると、オットセイ色のモチとパフィンが透き通ったブルーの瞳でこちらを見つめる。不思議なヒーリング効果に包まれて、つい私たちもウトウトしてしまうのだ。(写真4;仲よく眠るモチ(左)とパフィン(右))









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